2006年9月 8日

浅井学園大学 2007年4月に北翔大学に名称変更予定

浅井学園大学は、2007年4月に「北翔大学」に名称変更を予定しているようです。

浅井学園大学のホームページにアクセスすると、名称変更の告知が行われています。
↓コチラ↓
http://www.asaigakuen.ac.jp/

あわせて、
浅井学園大学短期大学部も
北翔大学短期大学部になる予定です。

(↓2006.12.27追記)

(浅井学園大学)

新大学名称の決定に至る経緯

大学名称の変更の必要性について

一連の不祥事に関する平成17年11月13日の最初の報道直後から、在学生の父母を含む多くの方々から、抗議や批判の電話、メール、投書などが相次いで寄せられました。その中には、大学名称の変更を強く求める声があり、同窓会も、理事会に提出した平成18年 1月16日付の要望書の中に、大学名称の変更を求める一項目を明記しております。 2月28日の前理事長逮捕と起訴にいたる過程の中で、不祥事の当事者の固有名詞を冠した大学名は「変更すべきである」という学内外の世論はさらに高まりました。学内では、12月19日に発足した「再生化委員会」のワーキンググループの一つである「理念」グループが、本学の理念や教育目標を再確認する作業の中で大学名称の変更をとりあげ、新体制にその実現を提案しております。

このように、大学の名称変更が、事件報道直後から性急に求められた背景には、個人の姓を冠した現行の大学名称が、前理事長と一体化し、公共の存在であるべき大学を、あたかも私的所有物であるかのような錯覚に陥らせ、公私混同と専横を許す土壌の一つになったのではないかという強い反省があったからです。

「大学名称変更委員会」の発足

新学長を中心とする教学の新体制は、再生プログラムを着実に進めるために「再生委員会」を発足させ、大学名称の変更にも取り組むことになりました。 3月28日の合同教授会で名称変更に対する賛同を得、学生に対しては入学時のオリエンテーション、在学生オリエンテーションを利用して、校名変更に関するアンケートを実施し、学生間に変更希望が多数であることを確認いたしました。また、同窓会は、 4月 2日に開催された代議員会において「大学名称変更要求」を決議しており、さらに事務職員においても、アンケート結果から、回答者中多数が名称変更を支持していることが明らかになりました。

4月23日の合同教授会で「大学名称変更委員会」の組織化が承認されました。委員会は、学長を委員長に、短大と大学の副学長がそれぞれ加わり、再生委員会の「理念」グループの代表 1名、各学部教授会で選出された教員計 3名、事務局から 3名、学生代表として各自治会から計 3名、大学院も各研究科から計 2名、同窓会から 3名が代表として参加し、合計18名のメンバーで構成されました。

大学名称変更委員会は、名称変更がもつ『再生』イメージのインパクトを重視し、入試戦略に新名称が与える効果を期待して、可能な限り早期にその広報活動ができるよう、文部科学省への適切な届出時期を勘案して、名称募集を開始いたしました。 6月の教授会で新名称を決定し、その後評議員会、理事会の決議を経て文部科学省への届出も完了し、平成19年度から新名称で再スタートすることとなりました。

これまでの議論と作業の経過

5月10日に開催された第1回大学名称変更委員会では、新名称の決定に関わる委員会の役割が、複数提案された候補名から最終案を選考し、委員長提案として教授会に諮り、賛同を得て決定することにあることが確認されました。多くの提案名がある中での選考・絞込みは大きな困難を伴うものでしたが、投票という意見集約の方法を採り入れつつ、委員会に付託された権限と責任に鑑み、最終案の選考に向かうスケジュールが決定されました。

5月15日開催の第2回委員会では、既に実施された「理念」グループの教職員アンケートの結果を集約し、その中で提案された重複や類似を含む80の名称について、第1回の絞込みを行いました。提案理由や名称からキーワードを探し出し、それを基に分類し、その上で評価項目として、(1)本学が立地するところの地域性、(2)本学の教育内容・教育理念の反映、(3)将来を見越した本学の可能性に立脚した発展性、(4)わかりやすさ、親しみやすさ、(5)名称の持つイメージ性、を基準に各委員が 3候補を選び投票し、上位 8名称に絞り込みました。それらを候補として、教職員、学生、大学院生の投票に付すことといたしました。

各セクションは、それぞれの責任で投票を実施し、その結果を尊重しつつ候補を3案に絞り、最終案決定のための委員会に提案することになりました。なお、同窓会はこの候補名には束縛されず、独自の校名募集を行い 3案に絞ることとしました。

教職員セクションでは、これら 8案に対する教職員の投票を実施し、新提案を含む 140票の回答を得ています。この結果を受けて、 5月26日に協議を行い、新たに提案された19案も含めた名称候補を、前回の絞込み基準に「得票数」と「独自性」を加えた 7つの評価項目をそれぞれ 5段階評価で採点し、他方投票結果を尊重する観点から、得票 1位のものは配点を 1.5倍として計算し、ポイントの高い順に 3案に絞り込みました。その結果、教職員セクションでは「北央大学」、「北翔大学」、「北海道文化大学」の 3案に絞り込まれました。

6月 2日開催の第3回大学名称変更委員会は、最終案の絞込みの基準に用いる評価項目を精査し、「大学イメージの表出」、「表記・字体の美しさ」、「音としての響き」などを加えると同時に、整理統合し、 7つの評価項目としました。各セクションから 3案ずつ提出される合計12案の中から最終案を絞込む予定でしたが、自治会の投票結果と同窓会のアンケート結果の集約が完了しておらず、また最終決定の方法についてもさらに協議が必要なことから、一週間先送りし、 6月 9日の委員会を最終回として結論を出すこととなりました。

最終案の決定

6月 9日に開かれた、第4回大学名称変更委員会では、12案が出揃い、再生に向かう大学の新たなイメージを体現する名称は何か、大学名称変更委員会の決定は最終段階を迎えることになりました。

まず議論を通して委員の意見を集約し、12名称を 6名称に絞り、その 6名称につき、評価項目毎に 3段階で採点し、合計点数で他の候補を圧倒する上位 3名称「北翔大学」「北央大学」「北海道翔凛大学」に絞り込みました。次に、重点評価項目を 3つ選び、それらを 2倍にした場合の合計点数で比較しましたが、大きな違いは生じず、「発展的イメージ」を重視する観点から「北翔」「翔凛」が残りました。 3時間半に及ぶ議論の結果、学生や大学院生が強く推し、評価も最高点を獲得した「北翔大学」を、大学の新名称案として、教授会に提出することが決定いたしました。

大学名称変更委員会は、その付託された権限と責任を重く受け止め、同時に民主的手続きを重視し、可能な限り多くの方々の意思が新たな校名に反映される方法を求めて心を砕いてまいりました。選ばれる名称は一つであり、すべて希望を反映することは実際には不可能であり、アンケートへの回答や投票を通して、本学再生の大きな節目となるこの決定のプロセスに、積極的に多くの方々が参加してくれたことには心から感謝しております。

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