2005年3月28日

大学誘致って、大変ですね。

大学で勤務する側としては「誘致」なんて、考えたこともありませんでした。

自治体としては、学生が来るし、学生が来れば商店や下宿先や、アパートなど需要が増えるわけで・・・。

しかし、18歳人口の減少によって、大学はこれから減少傾向になるとおもいますが・・・。

(朝日新聞)

軋む34万都市/大学誘致失敗3度

 郡山市議会の2月定例会が閉会した今月9日、藤森英二市長は最後の演壇で3期12年を振り返った。成果を並べ挙げた演説の中で、東北文化学園大の薬学部誘致については短く一言、こう触れた。

 「これだけが唯一の心残りです」

 学園大が薬学部開設を撤回してから10カ月。今、市内部で大学問題を検証したり、誘致に代わる市街地活性化策を議論したりする動きは見えない。誘致にかかわった市関係者は「誘致の失敗は、大学側の開学時の不正が原因。検証しようがない」という。

 03年6月、ある財団法人が解散した。

 「郡山地方高等教育振興事業団」。84年8月に市が設立し、事務局も市庁舎内に置いていた。

 財団は、当時の高橋尭市長が進めた東海大キャンパス誘致を、寄付金集めなど側面から支援する目的でつくられた。高橋市長は翌85年の市長選で敗れ、東海大誘致は頓挫。だが財団は残った。

 後任の青木久市長は90年、米国のテキサスA&M大学の郡山校誘致に成功する。ところが同校は生徒不足に悩み、藤森市長が就任した翌年の94年に閉校。以後、大学誘致は市の「鬼門」とささやかれるようになり、財団は、市内の高校生らへの進路アンケートがほぼ唯一の活動になった。

 そのアンケート結果が皮肉なことに、大学進出に対する市民ニーズの変化を映し出した。

 96年度のアンケートでは、郡山市内での大学や学部の新設・拡充について「必要」が61.5%、「現状で十分」が20%だった。それが02年度は、「必要」64%に対し、「現状で十分」は34.4%と14ポイント以上も増えた。

 財団はこの結果を「郡山市外への進学希望が多く、市内の進学需要はある程度満たされている」と分析。市も02年度に「少子化もあり今後の大学進出は望めない」として財団の解散を決めた。

 東北文化学園大から市が薬学部進出を持ちかけられたのは、財団が解散した03年6月のことだ。地方での薬剤師不足が指摘され、南東北にまだ大学薬学部がない中で降ってわいた進出話。市は「唯一条件のいい大学がやって来た」(関係者)と飛びつき、2カ月後には誘致を発表した。

 大学進出は、事業計画のほとんどを大学側がつくる。行政が途中で関与できる場面は少なく、できた計画の是非を後から判断するだけだ。大学に問題があると、事業そのものが頓挫する危険性が高い。

 「企業誘致では、対象企業を徹底的にリサーチする。なぜ大学は調査しなかったのか」「大学誘致の失敗は3度目。今度は検証が必要だろう」。市内部にも、そんな意見を持つ幹部はいる。だが藤森市長の口からは、検証や再発防止への意気込みが語られることはついになかった。

 経済県都と呼ばれる中核市の郡山も、不況や少子高齢化などの波をかぶり、様々な課題を抱える。4月3日告示の郡山市長選を前に、34万人都市の「軋(きし)み」を追った。

東北文化学園大の薬学部誘致
 郡山市は03年8月、本町1丁目の市有地への誘致を正式決定し、同12月に大学と基本協定を交わした。しかし04年2月、当時の堀田正一郎理事長=補助金適正化法違反罪などで公判中=の脱税疑惑が浮上し、開学時の架空寄付や二重帳簿も発覚。同大は5月に薬学部開設を撤回した。市は約2億円の損害を大学に賠償請求したが、大学の民事再生法申請により、1億9千万円が回収不能になった。

(2005/03/27)

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